STORY

人材育成

省電力と高性能を両立する新たな
クロック生成回路を実現!
家庭と仕事を両立した
開発ストーリー

2022.12.05

テレビ、パソコン、スマートフォン、センサーなどに搭載されているクロック生成回路。クロックとは情報処理を司るCPUの動作周波数が何ギガヘルツといった数字に表されるもので、ほとんどすべての電子機器に必要とされています。ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社(以下、SSS)が開発しているほぼすべての半導体にもクロックは搭載されています。それほど重要なブロックでありながら、クロック生成回路はこれまでデジタル化されることはありませんでした。今回は、従来のアナログPLL(位相同期回路)では難しかった低電源電圧動作、省面積、高性能化を実現する新たなクロック生成アーキテクチャ「オールデジタル位相ロックループ(ADPLL)」を開発し、Sony Outstanding Engineer Award 2020*1を受賞した田村昌久にインタビュー。時短勤務をしながら新しい技術への挑戦を続け、実現させることができた秘訣を聞きました。

*1) エンジニアの新たな挑戦を加速させるために設立したソニーグループにおけるエンジニア個人に与えられる最も価値の高い賞

田村 昌久

ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社
第1研究部門

プロフィール:2001年ソニー株式会社入社。携帯電話用高周波ICの開発に従事し、受信回路を担当。2008年よりTransferJet用LSI開発に参画し、位相ロックループを開発。同時期よりオールデジタル位相ロックループの開発に着手し、2014年に量産化に成功。2020年には超低電力Bluetooth® Low Energy用トランシーバに適用し、国際学会にて発表した。同技術の適用範囲は各種LSI製品に広がっている。社内への技術展開を推進するとともに、次世代技術の開発に従事している。

世の中のデジタル化がいくら進んでも
最後の部分はアナログ技術が支えている

今回、田村が開発した新しいクロック生成回路は、普段の生活ではなかなか耳にする機会が少ないものですが、ほぼすべての電気機器に搭載されている半導体や電子基板に必要とされるブロック。それぞれの機器には動作のタイミングを指示する基準信号(クロック信号)があり、このクロック信号が1秒あたりに動く回数がクロック周波数。このクロックを生成し、一定の周波数に制御するのがクロック生成回路です。パソコンなどのCPUのスペックでクロック周波数1GHzなどと書かれていますが、これは1秒間に10億回クロック信号が発振しているということです。
世の中の機器の多機能化、小型化が進んでいる中、半導体にはサイズダウンおよびさまざまな機能を搭載するための回路設計が必要とされる一方で、クロック生成回路はアナログ回路で構成されていて、サイズダウンが進んでいない状況でした。半導体プロセスの微細化が進み、これまでの高い電圧で動かすと回路を破壊してしまうリスクを伴うことから、低電圧でも動く回路が必要であり、半導体の回路設計、特にアナログ設計だったクロック生成回路のアーキテクチャを見直す必要性が高まっていました。また、微細な半導体プロセスにおいては、デジタル回路の方が相性が良いという側面もありました。
ただし、単にデジタルにすれば良いというわけではないのがこのクロック生成回路の難しいところ。クロック周波数は発振器によってつくりだすのですが、ここはアナログ技術によって構成されており、デジタル化が難しい部分。その一方で、発振器の出力信号を監視するフィードバック部分はデジタル回路化が可能であり、今回、田村が受賞の対象となった技術はデジタル回路とアナログ回路を組み合わせた、全く新しいクロック生成アーキテクチャです。

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田村は「どれだけデジタル化が進んでも、最後の部分はアナログが支えている」と言います。スマートフォンはデジタル機器の代表例ですが、会話時は音声データをデジタルデータに変換し、アンテナからはアナログ電波として送信します。受信するときは、弱いアナログ電波を余計な雑音を排除しながら増幅し、聞き取りやすくしています。世間一般には「アナログ技術=劣っている技術」と誤って認識されていますが、決してそうではなく、アナログ技術がさまざまなデジタル技術を支えているのです。大事なのは、アナログとデジタルの役割分担をうまくやることです。

不具合の原因も分からず針のむしろ状態だった開発

田村がデジタル回路で構成するクロック生成アーキテクチャを模索し始めたのは2008年ごろ。2000年くらいから論文ではデジタル回路構成に関するものがちらほらと出始めていましたが、田村は「よくわからないものが出てきたな」くらいにしか思っていませんでした。しかし、先にも述べましたが、半導体プロセスの進化が進むことで、デジタル回路の必要性、将来性を感じるようになりました。そんな折、運よく試作をする機会があり新しい構成を試してみましたが、全く動かず、苦労の末、何とか一部の条件だけで動いたというありさま。不具合の原因も特定できず、試行錯誤を繰り返しました。とはいえ、こうした新しい研究の話はすぐに社内に広がるのがソニーで、「次世代のLSI製品にこの技術を採用したい」と声が掛かり、製品化への取り組みへと発展しました。しかし、先にも書いた通り、田村がまだこの技術を確立できていないという状態。この製品化プロジェクトは大きな課題を抱えた状態でのスタートとなりました。
最初のプロジェクトでは非常に多くのクロック周波数設定で動作することが要求されました。「試行錯誤の末に何とか動く試作品をつくった」田村にとって、複数のクロック周波数を制御することは困難を極めました。最初の試作では、動かない周波数の方が多い状態。すぐに対策チームが結成され、不具合解消に向けた解析が行われました。これまで本社の研究所にいた田村にとっては、製品化に向けた気迫あふれる現場は初めてであり、一人で研究していた時とは比べものにならない程の強いプレッシャーのかかる苦しい開発となりました。「今になって思えば、みんなが大丈夫か?大丈夫か?って声を掛けてくれたのは、この技術をどうにか製品化しようという熱意の表れだったのだと思います。でも、その当時の私にとっては針のむしろにしか感じませんでしたけどね」と田村は笑いながら当時を振り返ります。

「新しいクロック生成アーキテクチャ開発には3つの課題がありました。1つ目は、アナログ回路とデジタル回路を組み合わせた高速の回路を設計する手法が存在せず、開発の手法から開発する必要があったこと。2つ目は、一般的なデジタル回路と異なり、アナログ回路のクロック周波数は一定ではなく変化するということ。そして3つ目は後にも触れますが、私が時短勤務をしなければならなかったことです。私は全体を俯瞰しつつ、デジタルとアナログの領域をうまく振り分け、デジタル回路、アナログ回路それぞれの専門家に課題解決を依頼。さらに課題が出ると、その分野に詳しい人にも手伝ってもらうといった具合に、多くの人を巻き込み、協力を得ながら、製品化に漕ぎつけました。今回の賞は個人賞ですが、私はチームにもらった賞だと思っています。チームのみんなの協力、そして会社の協力がなかったら成功しなかった」と言います。また、田村の時短勤務は、結果としてチームで業務を分担しあうことにつながり、技術が属人化しない「会社の技術資産」となりました。こうした技術や情報が共有されやすい開発方法は、企業だけでなく、若い技術者にとっても有益であり、技術革新は働き方を選ばないという副産物も生み出してくれました。

学生時代は切り替えのうまさで趣味と学業を両立

デジタル回路とアナログ回路を組み合わせる前代未聞の技術を確立させた田村の能力は、デジタル領域とアナログ領域を切り分け、それぞれの役割分担をうまく振り分けることができた点にあります。こうした判断の速さ、切り替えのうまさは、学生時代のエピソードにも垣間見えます。学生時代はドラムに打ち込んだという田村。ジャズサークル、軽音サークル、社会人ビッグバンドに所属。音楽活動は大学院の研究室に入ってからも続け、ついには「一番効率良く修士論文を書いた」と教授に揶揄されたほど。ほとんどの大学院生が研究に勤しむ中、田村は趣味と研究の時間を巧みに切り分けながら、すべてをあきらめない学生生活を成功させたのです。音楽も研究も、好きになったらとことんやる。切り替えのうまさが、「趣味も研究も、どちらもあきらめない」を成し遂げた田村の能力といえます。

家事がいい気分転換
シングルファーザーとして家庭と仕事を両立へ

田村が時短勤務していることは前述しましたが、今回の技術開発期間中の前半は妻の闘病サポート、後半はシングルファーザーとして、高校生と未就学の二人の娘を支えなければならないという家庭の課題をかかえながらの開発でした。闘病サポートを始めた当初は、家庭と仕事の両立には不安を持っていましたが、「田村が持っているボールをなるべく減らそう」と動いてくれた上司と開発メンバーをはじめ、家族や友人の理解とサポートで、キャリアをあきらめずに済みました。田村に家庭と仕事を両立させるコツを聞くと「とにかく自分で問題を抱え込まないこと。SSSには『困っている』と声を上げれば、自然とみんなが助けてくれる文化があります。今回の開発の課題も社内のいろいろな人が助けてくれましたし、時短勤務にしても、会社の支援制度はもちろん、上司やチームの協力を得られたからこそ」だと言います。また、デスクに向かっていない時間の使い方に気を使うことが重要で、10分でも時間があれば資料作りができるように、普段から頭の中で情報を整理することを習慣化。今では家庭と仕事の両立ができており、むしろ家事の時間は気分転換できる時間として重宝しています。
今後も「必要とされたときにすぐに出せるように技術をあらかじめ仕込んでおくことが重要なので、学会や論文、社内でのコミュニケーションを密にして、開発のトレンドをしっかりとつかんで、技術開発を進めていきたい」と言います。市場の要求は常に変わり続けているので、ずっと同じものをつくっていればいいというわけではありません。市場の要求に合わせて新しいものをつくっていかなくてはならないのですが、市場の要求を受けてから開発を始めたのでは間に合わないのです。最後に「SSSの中には本当に優秀なエンジニアがたくさんいます。そういう人たちがたくさんの技術を仕込んでおくことで、人的・技術的な層の厚さとなって新しい技術開発につながっていると思っています。ビジネス規模は大きくなくても、優れた技術というのはたくさんあります。まだ陽の目を見ていない技術だとしても、諦めずに頑張ってほしいです」とSSSがなぜ世界一の技術を数多く有しているのか、SSSの組織としてのポテンシャルの高さの秘密を話してくれました。